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いよいよ始まるタンタンツアー直前の本日CWMの次回作に掲載する予定のタンタンのインタビューのラフがあがってきました。素敵なことを沢山話してくれてます。この話を知ると知らぬではステージに立つタンタンがまるで違ってくると思えたので緊急でアップさせていただきました。
是非読んでみてください。
※まだ編集段階の部分がありますご了承ください。

82歳、現役の伝説のトランペッター、タンタンことEddie 'TANTAN' Thornton。ジャマイカ出身のミュージシャンで海外アーティストとの経験の最も多いミュージシャンかもしれない。世界のあらゆる国を舞台に、新旧のビッグアーティストとの65年間にもわたる演奏キャリアを、まるで昨日のことのように語り、そのたびに「僕は天に与えられた恵みと幸運に守られ、人生に起きたことすべてが、計画されたようにベストなタイミングで起きている」と繰り返す。彼がトランペットを初めて手にしたのは、ジャマイカの首都キングストンのダウンタウンに程近いアルファボーイズスクール。恵まれない子供やストリートの子供たち、家庭に問題を抱える子供たちが通う学校だ。この学校は、子供たちに楽器を与え、音楽を教育プログラ ムに取り入れ、数えきれないほど多くの伝説的ミュージシャンを世界に輩出し続けている。究極のプロフェッショナリズムと最高に気さくな笑顔とハッピーバイブスを放つタンタンのキャラクターこそが、彼ならではの偉大な音楽人生を創りだしたキーかもしれない。クールワイズマンとの東北ツアーを前にメンバーを 交え、和気あいあいと語ってもらった
(インタビュー&テキスト:ナイト'Iyah' 彩子)

http://iyah.cocolog-nifty.com


僕はキングストンの隣町スパニッシュタウンにある、とても敬虔なカソリックの家族で育った。といっても、祖母や母や姉は熱心に教会に通ったが、父親は教会には行かなかった。でも、いつも僕たちに教会に行けとは言ってた。(笑)・・・実は父親はアル中だったんだ。でも父親のことは大好きだった。僕はまだ子供だったから、アル中が何かってことさえ知らなかった。いつも酔っぱらってる父親に慣れてたし、それが当たり前だった。僕が10才のとき、彼は酒の飲み過ぎで肝臓を悪くして医者に行ったけど、処方された薬を飲まずにいたので亡くなってしまった。僕は父親にとりわけ誰よりも特別に愛されてた。亡くなった日のことは今でもよく覚えてる。いつものように学校から帰って来てすぐに友達と川に行って泳いでいたら、お姉ちゃんが走って来て、「パパが死にそうよ、急いで!」って呼ばれて家に走って戻った。父親が「どこ行ってたんだ?」って言うから、「川に泳ぎに行ってたんだよ、パパ」って言って、僕はいつもするみたいに、父親の脇の下を触りながら彼に寄り添った。そしたら父親が、「エディー、そこをどきなさい」って言った。それが父親の最後の言葉。父親は僕が家に戻って来るまで旅立たずに待っててくれたんだ。その当時、従兄弟がアルファボーイズスクール(以後、アルファと表記)にいて、僕が父親を亡くし、家庭も裕福でなかったことを知って、アルファに来ないかって誘ってくれた。もしあと三カ月後に父親が亡くなってたら、今、僕はここで君と話をしていないよ。アルファに入るには年齢制限があるから、あのタイミングでなかったら僕はアルファに受け入れてもらえなかったんだ。だから父親が僕をアルファに行かせてくれたって信じてる。天が与えてくれた恵みだった。本当にラッキーだったんだ。靴も履けないくらい貧乏な少年だった僕が、82歳になった今も世界中を飛び回っているのは、アルファでの経験、そしてアルファに行くように仕向けてくれた愛する父の死、そして神からの恵みと幸運のすべてが相なって起きたことなんだ。

アルファに入学した当時、僕はまだ自分を見失ったように父親のことばかり考えていた。300人もの男ばかりの学生のなか、知らない人ばかりで、本当に寂しかった。シスター・イグナシアス(後に世界的ミュージシャンとなるアルファ出身の多くミュージシャンに音楽を教えていた修道女の先生。自身もミュージシャンである)はとても頭のいい女性で、その時の僕の心情をすぐに察して直接話しかけてくれて、神について語り励ましてくれた。今日の僕があるのは彼女が助けてくれたおかげでもある。2003年に亡くなる前まで彼女は毎年ジャマイカからロンドンの僕の自宅に会いに来てくれて、一緒に多くの時間を過ごした。僕のことをとても愛してくれて、自分の息子だって言っていた。彼女がロンドンに来ると、僕はいつも彼女の大好きなロブスターを作ってあげた。僕は料理が大好きなんだ。食べることもね。(笑)アルファで音楽を学び、シスターたちと出会ったことも、僕の人生を大きく変えた。ラッキーなことだし、感謝しきれないよ。 僕はアルファでは司祭の手伝いをするキャプテンだった。それで、いつか自分も教会の司祭になるのかなと思ったこともあったけど、それには僕は女性を好きすぎて無理だったね。(笑)でも、どの国に演奏に行っても必ず教会に行くし、僕はこうして皆と話すように毎日イエス様と会話している。人はだますことをできても神をだますことはできないよ。この世にはいろんな宗教があるけど、神はひとつなんだ。人は何かを信じて生きている。僕はここにいながら、この宇宙のなかにいるっていう自分を常に意識している。 僕はアルファに入るまで楽器を一切やったことがなかった。入学当時、バンドにはチューバしか空きがなかった。バンドに入りたいから、仕方なく最初はチューバを吹き始めた。でも心のなかでは、そのうちトランペットを吹いてみたいってずっと思っていた。チューバを吹き始めて数か月した頃、チューバが大きくて重いからキンタマが痛いって愚痴を言ってみた。(笑)そしたら狙い通りトランペットを習えることになったんだ!(笑) 僕がベースラインを特に好きなのは一番最初に出会った楽器がチューバだからかもね。

アルファに入った時にすでにトミー・マクックがいて、リコ・ロドリゲスは最初トランペットをやっていて、ドン・ドラモンドはトロンボーンを吹いていた。卒業してバンドに空きができると、楽譜を読める者から空いた楽器の担当に充てられたんだ。エリック・ディーンズ・バンドを知ってるかい?ジャマイカでナンバーワンのバンドだよ!アルファを卒業してすぐに、エリック・ディーンズ・バンドはキングストンのコットンクラブで演奏するようになった。すごくいいお金を稼いでいたよ。その頃はとにかくジャズ、ビッグバンドミュージックが主流、あとメントとカリプソ。スカもロックステディーもなかった。アーネスト・ラングリンとローランド・アルファンソはアルファ出身ではなかったけど、その同じバンドで演奏していたんだ。他にはトミー・マクック、リコ・ロドリゲス、ドン・ドラモンド、ロイド・ベネットがバンドにいた。その頃はまだ録音技術がなかったから、ライブのみ。僕がジャマイカから1954年にイギリスに移住した後に録音技術が入ってきたから、僕の録音されたものはジャマイカにないんだよ。 コットンクラブの仕事の後、僕たちはジャマイカの北海岸オーチョリオスという町に住んでホテルでエリック・ディーンズバンドでの演奏の仕事を続けた。でも、つき合ってた彼女が母親と一緒にイギリスに移住することになったんだ。それで僕も移住を決めた。ロンドンに知り合いは全くいなかった。彼女を追いかけていっただけだからね。ところが、バイロン・リー&ザ・ドラゴニアーズでプレイしてたサックスプレイヤーのオジー・スコットが当時イギリスにいた。彼がジャマイカの警察軍隊にいたころ、アルファに来て時々一緒に練習したことがあった。ロンドンのブリクストン(ジャマイカ人が多く居住する地区)にいた僕の彼女の母親がオジーと知り合いで、彼に僕のことを話したら、タンタンなら知ってるよ!って言って、そこから繋がって、彼らが僕にトランペットを買ってくれたんだ。それからオジーにドイツに仕事で一緒に行こうって誘われて、10月にはドイツに行った。イギリスに移住してから3か月後のこと。それが僕にとって海外で最初のギグ。クインテットのスタンダードジャズだよ。そこからはもう振り返ることはなかった。ドイツのあちこちのクラブでギグをした。ドイツ語も少し話せるよ。女の子を口説ける程度のドイツ語ね。(笑)当時のドイツは東西に分かれてたけど、まだベルリンの壁はなかったから、僕は東に住んで東と西を行ったり来たりして、あちこちでプレイしてた。それから、僕はボニーMに出会って一緒にプレイするようになった。ボニーMはドイツのグループだけど、メンバーはアフリカと中南米出身だった。出す曲すべてがヒット、ナンバーワンのディスコバンド。世界中をツアーしたよ。ハンガリー、スイス、チェコ、ポーランド、フィンランド、ヨーロッパの国はほとんど行ってるよ。

そんな忙しいなか、ロンドンに戻って来るとジョージフェイム&ブルーフレイムスとも活動していた。当時、彼らはイギリスでナンバーワンのバンドだったから、テレビの人気ショーに出まくっていた。ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ロッド・スチュワート、トム・ジョーンズ、皆、テレビのスタジオで出会ったんだ。白人だらけのなか、当時の僕はどこのテレビのスタジオでもたった一人の黒人ですごく目立っていた。ジョージフェイム&ブルーフレイムスは1日に3つのスタジオをはしごしてテレビに出たりしていたから、皆、僕のことはテレビで観て知っていた。僕は本当にラッキーなんだ。僕のキャリアは神からの恵みを受け、今もそうだけど、そういう時代でも、僕は人種差別を受けたことは、たったの一度もなかった。差別を見たこともあるし、存在することも知ってる。真っ白のなかに僕だけが黒くても、僕は差別を受けたことは無かった。イギリスってところは君のことを気に入ったらOKなんだ。それに、僕はいつも必ず境界線を保っていた。見ざる聞かざる言わざる。ビートルズとかストーンズとかビッグネームといつもつるんでたから、新聞がたくさんの金を積んで僕からいろんなゴシップを探ろうとしたこともあったけど、僕は絶対に言わなかった。マタイの福音書にもあるように、「右の手のすることを左の手に知らせるな」。(「何か善いことをするときには、永遠の命のために行え、地上の善のために行うな」)僕の人生は何も無いところから始まった。そして、この世を去るときには何も持たずに行くんだから。僕は、恵みに関してはリッチだから、物質的にリッチである必要はない。必要なものは全部持ってる。それ以上は必要ない。

ビートルズについて聞きたいだろうね。彼らは本当に普通の人たちだよ。僕にとってはジョン・レノンがベストだな。ジョンは寛大で、いつも落ち着いていて、地に足のついた人だった。僕とは誕生日が近いから、すごく考え方や感じ方が似ていて親近感を感じてた。ビートルズのなかでは、'Here, There and Everywhere'が僕の一番の好きな曲。

ボブ・マーリーのアルバム‛カヤ'も録音してる。ボブは僕にとって本当に自然体なヤツだった。ミュージシャンは有名になると偉そうに振る舞うヤツも多かったけど、彼は誰に対しても同等に接する人だった。

ジミ・ヘンドリックスは友達だよ。ジミがデビューする前の1966年ころ家をシェアしてたんだ。ジミがあのでっかいアフロの髪型を見たとき、僕はポールバターフィールドブルースバンドのギターリストにそっくりだって言ったんだ。ジミはとくに否定しなかったから、本当にそうだったのかもね。ジミはサンタナが大好きだった。サンタナはジミのアイドルだった。(サンタナのメロディーを歌いながら)サンタナの作りだす美しいメロディーをジミは本当に愛してた。サンタナの作りだす音は美しいメロディアスなスタイル、ジミはハードな重い音を出すスタイル。夜中の2時とかにクラブが終わると、ジミと一緒に家に戻って朝6時とかまで練習していた。僕たちの家は防音されてたからね。とにかく寝ないで朝までよく一緒に練習した。

僕が誰よりも一番好きなのはアバ。彼らはスウェーデン人だから、イギリスではヨーロッパほどはフィーチャーされなかったけど、ロンドンではずっとライブは必ず満員だった。(アバのメロディーを歌いながら)、彼らの作るメロディーはいつも絵を描くように動いて行く。どのアルバムもすべてスィートなんだ。ヨーロッパ、オーストラリア、当時はどこでもアバ、とにかくビッグなバンドなんだ。

イギリスに移住した後、多忙で10年間はジャマイカに戻らなかったけど、それからは毎年、帰ってる。ジャマイカに帰国するようになって修道女たちがドライブに連れまわしてくれるまで、ジャマイカのことをまったく知らなかったよ。帰国するとフェスで演奏したり、キングスハウス(首相官邸)で演奏したりもしたよ。キングストンのナショナルスタジアムにボニーMと行ってプレイしたり、アスワドやウェイラーズともライブをした。

今回、CWMとレコーディングした曲は、本当によかった。一度聴いたら何度も聴きたくなる。聴けば聴くほど良さが分かる。自画自賛だけどね。(笑)レコーディングが終わったら、スタジオにいる全員が拍手した。あのバイブスは本物だ。特に気に入ってるのは‛オリエンタルガール'。メインのメロディーがあって、その周りですごくいろんなメロディーが動いてるのがいい。一度聴いたら忘れられない曲だよ。CWMは僕のファミリー。サッカーチームみたいな感じ。(笑)お互いを愛し、リスペクトしあっていて、誰ひとり自分だけ目立とうとしたりせずにチームで活動してる。人数の多いバンドにとって、それは簡単なことじゃない。ミュージシャンそれぞれ音楽に対するテーストが違うけど、一度集まって演奏すればひとつになってひとつのメロディーを奏で、それを皆で愛する。レコーディング終わって、そこにいる全員が拍手することってそうないからね。

音楽に年齢は関係ない。自分でも信じられないけど、若い時よりどんどん上手くなってるんだ。時々聴いてて、自分じゃないと思うくらい上手くなってる!(笑) 年をとる代わりにどんどん若くなってるんだ。音楽に終わりはない。どんなに富を得ようと、音楽を続ける人は永遠に続ける。

COOL WISE MAN with EDDIE "TANTAN" THORNTON JAPANTOUR2013
http://www.smash-jpn.com/live/?id=2001

2012 年夏の野外フェスティバルに総じてラインナップされ東阪単独 公演も完売しグッドコラボと賞賛されたハンバート ハンバート× COOL WISE MANの出演が大決定!
約1 年振りのライブとなる MaNHATTAN の出演も決定!

まさに見逃せないラインナップとなりました。イベントを彩る DJ 陣も豪華に絶讃交渉中です!
10 周年記念 We Sing The Blues 今週末 11/9(土)よりいよいよチケッ ト一般発売開始です。


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"GALACTIC 10th anniversary WE SING THE BLUES!"
12/28(土) at 渋谷O-EAST

OPEN 15:00 START 16:00

LIVE
ハンバート ハンバート×COOL WISE MAN
グッドラックへイワ
bonobos
T字路s
MaNHATTAN
The eskargot miles
かみぬまゆうたろう

DJ
coming soon

TICKET
前売:¥4,000 (税込・整理番号付・ドリンク別)
※入場者全員にオリジナル特典有り

一般発売: 11/09(土)
ぴあ[P:211-322]
ローソン[L:75628]
イープラス
O-EAST店頭

主催:ギャラクティック/チューン・ベーカリー
企画・制作:ギャラクティック / シブヤテレビジョン
協力:Hanx / ハンバートハンバートクルー / ORANGE LINE TRAXXX

INFO
O-EAST tel.03-5458-4681 http://shibuya-o.com/


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